継続的な人間関係体験学習の完成した経緯
平成8年4月。全国でも珍しい継続的に人間関係づくりを学ぶ学習が全国に先駆けて鳥取県立赤碕高等学校でスタートした。私自身、担任などをしてクラスをもったときクラスの仲間づくりなどの経験は多少あるものの年間通して行うのは初めての体験だった。
体育館に集合した生徒を前にして「この授業でお互いの関係がよくなって、みんながいい仲間になってくれたらうれしい。そして、すてきな男の子、すてきな女の子、すてきな人間になってこの世の中を生ききってほしい」と熱いメッセージを送りながら人間関係体験学習をスタートした。
最初は、簡単な動作を通して仲間とふれあうきっかけを作る「コミュニケーション・ゲーム」や「ホスピタリティ」「人の話を聴く」「自分を知る」「他人を思いやる」など、自分の生き方やふだんの人間関係を見直す「気づきの体験学習」を柱に授業展開していこうと考え実践したが、これがなかなかうまくいかなかった。
「コミュニケーション・ゲーム」で、生徒同士の仲間作りを進めていこうと考えて、二人組や三人組になってクラスの仲間同士が握手したり背中合わせになったりして、人間交流を進めようとするのだが、生徒達は「照れ」「戸惑い」などの反応をはじめ、「なんで高校生になってまでジャンケンするの」「手を合わせたりするの」と困惑の態度を示し、男女が一緒に向き合うこともなく、関わったとしても仲良しの友達だけという有様。
まして、更衣室からじっと身を潜め人と関わることを嫌がる生徒をはじめ、授業そのものに消極的な生徒も少なくなかった。
数人のグループで行う「気づきの体験学習」でも、真剣に課題と向き合う生徒を横目にしながら、自分のグループに入りきれず最初かららそっぽ向いたり、終始うつむいている生徒がいた。その生徒のそばに行き「積極的に関わってみないか」と話すのだがなかなかうまくいかない。中にはグループメンバーの顔ぶれを見るなり「メンバーにお前がいるならいやだ」といって教室から抜け出て行った生徒も過去にはいた。
また、授業の後に授業のふりかえりとして毎時間「学習記録」を記入させるのだが、課題に真面目に取り組まずにいて、私たち授業担当者が喜ぶようなことを「学習記録シート」に書き、その場を上手に繕う生徒たちもいた。
さらに、授業への参加を拒んだり、最初から困惑の表情を露(あらわ)にして積極的に取り組もうとしない生徒は、クラス内の仲間と関わることさえしんどく、抵抗や反発さえした。
地域等での人間交流の研修会などは、どちらかというと意欲のある人たちが参加されるので面と向かっての人とのふれあいがスムーズに行われるが、クラス内の生徒同士は人間関係のベースができていない中に無理矢理「心を開いて仲良しになろう」といって手をつないだりすることは彼らにとって苦痛の何ものでもなかった。
このことは、私たち担当者にとっても毎回の授業の運営がしんどいものになっていった。時には「どうしてクラスの仲間が手がつなげないのか」「こんなクラスの人間関係でいいのか」と授業を中断し叱責したこともあった。
しかし、このように学校内での「コミュニケーション・ゲーム」や「気づきの体験学習」に馴染むことの出来ない生徒であっても、保育園の園児や高齢者施設利用者の人と1対1の逃げ場のない関わりを持ち続けるようになると、見違えるように変容し積極的な関わりを見せるのだからさすがの私も驚いた。
現在、教育現場等では4月や5月の時期は、学級開きと称して、様々な技法で「なかよしになろう」と言っては、クラスの仲間づくりを行っているが、どれほどの時間を割いているのだろうか。
はたして、それだけでうまくいっているのだろうか。
中にはかえってそれがストレスとなって、苦しんでる生徒はいないのだろうか。
赤碕高校が9年間実践してきた人間関係づくり授業の核は、園児や高齢者施設利用者との逃げ場のない1対1の交流だが、この全国的にも珍しい継続的な交流のヒントになったのは、私が夜間定時制高校に勤務しているとき、保育園や高齢者施設に個人的に出かけ園児や高齢者の方との関わりを持っていたことがきっかけだ。
私の病気体験(肝炎で2度にわたり入退院、2年間の休職)から、保育園に出かけては園児に「食べることといのちの大切さ」について紙芝居などを利用しながら「いのちと食のメッセージ」を届け続けていたが、毎回のように「おじさん、楽しかったよ!今度はいつ来てくれるの?また来てね!」と、園児は瞳輝かせ私のからだにまつわりついてきた。一人の園児を抱っこすると「おじさん!私も抱っこして」と次々と他の園児が抱っこやおんぶをせがむのだ。
園児の笑顔に照らされて私の顔も自然にほころんでいた。
車を走らせるとバックミラーからいつまでも私に手を振っている園児達の姿が見えた。うれしかった。なぜか心がゴムまりのように弾んでいた。
また、高齢者施設では利用者から「高塚さんから元気をいただきました」などの言葉や温かい眼差しをからだ一杯感じ取る。帰るときは私に利用者の方が合掌だ。
私のような大人でも「人から見つめられたい」
「自分の話をきいてもらいたい」
「大切にされたい」「認めてもらいたい」
「人から気にかけてもらいたい」のだと実感した自分がいた。
園児や高齢者のやさしさにふれたり喜ばれることで、私はなぜかホッとしてうれしく心が弾むのを覚えた。そして、関わる回数が増すに従い、
自分の心が癒されとてもいい気持ちになっていくのを体感した。
こうした私の体験を元に、高校生にもぜひこの思いを体験させたいという思いから、町役場や保育園、高齢者施設に協力をお願いして、交流が実現する運びになった。
9年間の授業実践で旧赤碕町とその両隣の旧東伯町と旧中山町の3町14施設で毎年のように御世話になった。感謝で一杯だ。
園児との交流は生徒を素直にする。一人ひとりの生徒が友達の前では出せない小さかった頃の無邪気さを素直に出すのだ。これが、2回や3回の交流なら生徒達は、なんとか交流の場をうまく演じてしまうのだろうが、10回前後の交流となるとみんなの前で格好をつけている暇などないのだ。
ある生徒は「園児との交流をする前までは、他人の前で笑ったり自分の気持ちを出すことは格好悪いと考え、自分の中で格好を付けて無理矢理大人ぶっていた」という。それが園児と関わっていると「余り人に見せられなかった子ども心が自然に出てしまう」のだそうだ。とにかく、生徒一人ひとりの目の色が変わる。
サッカーの試合で、選手がボールを真剣な眼差しで相手ゴール目指してプレーするように、生徒がそれこそ園児や高齢者の方と真剣な眼差しで関わっているのである。学校内では見せない「やさしい眼差し」「ほほえみ」「うなずき」「耳を傾ける」「いたわり」「手を握る」「なでる」「さする」「おんぶ」などが随所に見られ、まるで別人だ。
このように「気づきの体験学習」と継続的な交流をセットにして取り組んだのは全国的にも珍しいと思う。