自分に宛てた「励ましの手紙」より
平成20年度 医学部1年学生
女子学生
入学して、一番はじめにあった授業がヒューマン・コミュニケーションでした。はじめのころの気づきの学習では、パートナーになったりグループになる人がみんな初対面でとても緊張した。初めて会った人だからこそ相手がどういう人か分からす、相手について知ろうと心がけるいい練習になった。高校までほとんど同じメンバーで過ごし、限られた人間関係の中にいた私にとって、一回一回の授業が重く、とても疲れるものだったが、あの時間で鍛えられたと思う。
授業が進むにつれて様々な気づきの学習をした。時に、何のためにやるのか分からないものもあった。その中で最も印象に残ったのぱオウム返じだった。
繰り返して話すのが本当にコミュニケーションの一助になるのか、意識してするようなことなのか、疑問に思うこともあった。“オウム返し"が大切だと分かったのは2年生の実習に入ってからだ。耳が遠かったり、認知症のある私のパートナーは、パートナーが話していることを私が意味を取り違えたり、よく理解できなかったりすると、とても不安そうな顔をされていた。普段よく笑われる方なので表情の変化がすぐ分かった。中間の時に学校でふりかえりをした時に“オウム返じの大切さが分かった、とグループの人が言っていたのを聞いて私も実践してみようと思った。
その次から、パートナーの発言の意図がよく分からない時に意識してオウム返しをした。するとパートナーがその発言を補うような言葉をつづけてくれ、ようやく意味が分かることが増えた。パートナーの不安そうな顔も減ったように思う。それを実感して、初めて昨年の気づきの学習が活かせたと心から思えた。
この授業を通し、普段接しない幼い子や高齢者の方、保育園の先生、グループの施設の方等様々な年代の方と話をすることができた。また、日常生活を共にしている同世代のみんなとも普段とは違うアプローチの仕方で接した。その中で気づくことも多かったし、気づけなかったことも多かったと思う。¨積極的"に自分から動いていくことが自分を知る、相手を知る第一歩なのだと痛感する授業だった。
男子学生
コミュニケーションは難しい。それが率直な感想である。大学に編入する前は、数年間の仕事を通じて様々な人達と接していたし、また子どもの頃から祖父母と身近に接することが多かったので、それなりのコミュニケーションができるものと思っていたのである。それが、今回の高齢者の方との交流を通じて、その考えが甘かったことに気がついた。それは今回の交流は、他人の私が、高齢者の日常生活の一部に接するという状況であったからではないだろうか?
仕事でのコミュニケーションは、ある共通の目標を達成するためにお互いが業務を円滑に進めていくにはどのように人と接すればよいのか、というものである。他方、祖父母とのコミュニケーションは、身内であるという安心感のもとにお互い気兼ねなく接する、というものではないかと思う。そのような意味からすると、今回の交流は、これまでとは達った状況でのコミュニケーションであったと思う。そして、その中で良い経験をさせてもらえたと感じている。
今回の交流で気づかされたことは、その日、その時間、その状況でパートナーさんの気持ちが様々に変化するということ。
また、相手の表情や仕草ばかりに気をとらわれすぎず、まずはそのパートナーさん全体をうけとめること。さらにこちらが相手に何かをしなくては、という思いがかえって相手への無言の圧力になっていることもある、ということだ。また、死生観の面では、自身のこれまでと、これからの人生について考えるきっかけを与えてくれた。そこではお互いに信頼、尊敬し合える関係が大切であると考えさせられた。この授業を通じて気づけた上記のことは、パートナーさんが私に気を使われすに自然体のまま接してくれたからであると思っている。もちろん、交流が上手くいかないときは、気落ちすることもあったが良い経験だった。
医療の現場では患者さんの置かれた状況、また医師としての立場上、今回の交流とは異なる状況下でのコミュニケーションになることは明らかだろう。しかし、その根底には互いの立場、知識、経験、考え方といった背景に関わらす、一人の人間として相手とどのように接することができるのか?ということが大切なのではないかと思えてきた。そう考えると、コミュニケーションとは一朝一夕に得られるのではなく、日々意識することも必要なではないかと思う。今後、様々な状況下でのコミュニケーションが必要となるだろうし、それに伴う困難にも直面するだろう。その時には、この授業を通じて学び、気づけた基礎に立ち返りたいと思う。
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